最近その不調振りがメディアを騒がせているフジテレビ。その凋落の原因を元プロデューサーで現在は大学教員をしている著者が、70年代から現在までの歴史を振り返りつつ、分析する内容になっています。

30代中盤になる僕にとっては、記憶の片隅になんとなく残っている程度の「夕焼けにゃんにゃん」や「オレたちひょうきん族」といった番組に関わる様々なエピソードが明らかにされており、非常に興味深い内容でした。

バブルの頃のテレビの空気感のようなものを感じ取れるエピソードも満載で、今とのギャップに驚ろきます。例えば、1994年、日本テレビとの熾烈な視聴率競争の様子は以下のように描かれています。

そこで日テレは、夕方からからバラエティー特番で延々と「野球拳大会」を放送するという掟破りの大勝負に出たのだ。

これで視聴率を強引に引き上げた。

確かにやってましたね、野球拳。。。団らんで過ごす家庭が多いであろう年末にテレビで野球拳ぶちかますとか、もはやテロ行為。とんでもない話です。

昔、会社の先輩から飲み会で「90年代には『殿様のフェロモン』という番組があって、その中に“ハケ水車”というのがあってだな・・・」という話をされたことがありますが、この頃のテレビは本当に“何でもあり”だったのでしょう。(今でもgoogle先生で「殿様のフェロモン」と検索すれば動画を見ることができます)

また、トレンディドラマ全盛の時代において、フジテレビ内に“数字が取れなくても、良い番組を作りたい”といった議論がされていたという話も興味深いです。現在のネットメディアにおける“PV論争”に近いものがあるかもしれません。
ドラマでヒット作を連発した後、編成部副部長の役職についていた大多亮氏は、このような傾向に注意を促している。

「荒川区か足立区あたりの日光街道で、タバコを吸いながらしゃがんでいるチュー坊。あるいは和光市あたりで質素な一人暮らしをして、東武東上線で都心に通勤してくるOL。彼らにわかりウケる平明なソフトでければダメ」(「創」1996年5月号)

このように、フジテレビ全盛時代の様々なエピソードを丁寧に紹介しながら、フジテレビが視聴率三冠という栄光の時代から、衰退していく様を描き出しています。ただ、本書の中で指摘されている問題は、フジテレビのみならず、テレビ業界全体が抱えている課題のようにも感じました。

一部で着々と定着しつつある「フジ=反日」の図式


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ちなみに本書において、僕がもっとも恐ろしく感じたのは、下記の描写です。
最近、私が学生から良く聞かれる質問のひとつに「フジテレビは韓国人の社員が多いんですよね?」というものがある。これも全くのデマだが、こうした誤解がなぜ広まってしまったのだろうか。

(中略)

このように凝り固まった偏見は、簡単に払拭できるものではない。私が大学でいくら事情を説明しても、もはや「韓流ゴリ押し」を当然の事実として捉える一部の学生は聞く耳をもたない。「ネットであんなに書かれているのに嘘であるわけがない。吉野はフジテレビに勤めていたから擁護するのだ」などと思っているのだろう。

著者である吉野さんも指摘していますが、フジテレビは、保守的な論調で知られる産経新聞と同じフジサンケイグループの会社です。一部のネットユーザーだけが思い込んでいると考えられていた「フジ=反日」と言う図式が、今や“真実”として一部に定着しつつあるわけです。ちょっと背筋が寒くなりますよね。

まだまだメディアとしての影響力も大きいですし、社員の方の待遇も恵まれているとは思いますが、こういう状況から見てもやはりテレビ業界の「古きよき時代」は終わりを告げたのかもしれません。そのことを改めて感じさせる一冊でした。

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