2年前に、こんな記事を書きました。

過ちてはあらたむるに憚ることなかれ(あるコウモリ編集者の懺悔)―「江戸しぐさの正体」 : ブログ仮免許過ちてはあらたむるに憚ることなかれ(あるコウモリ編集者の懺悔)―「江戸しぐさの正体」 : ブログ仮免許

インターネット上では、だいぶ「江戸しぐさ=トンデモ」という図式が定着してきたように見えます。とはいえ、以前自分の母親に「実は『江戸しぐさ』というのは捏造らしい」という話をしたところ、「いやいや、そんなぁ」みたいなリアクションだったので、まだまだ信じている人も多いのかもしれません。

そんな江戸しぐさを完全に葬り去るべく書かれたのが本書「江戸しぐさの終焉です」。

「江戸しぐさの正体」がよりパワーアップ



前作「江戸しぐさの正体」は、江戸しぐさのトンデモ振りを詳細に、考証する内容でした。それに対して、本作は、「江戸しぐさ」が人口に膾炙し、教育行政にまで入り込んでいく過程を綿密に検証した、ドキュメンタリーのような構成になっています。

「江戸しぐさ」の創始者芝三光の人生からNPO法人「江戸しぐさ」の成り立ち、推進の歴史などを丁寧に追跡。江戸しぐさが社会や教育行政に受け入れられていく過程と、こうした事態を招いた責任を明らかにしていきます。

また、「江戸しぐさ」に関わる人々の矛盾を、著者である原田さんが容赦なく指摘、斬り刻んでいく様子は痛快そのもの。前作を読んだ方はもちろん、未読の方も十二分に楽しめる内容だと思います。 原田さんが江戸しぐさ関係者に「時泥棒」を喰らうシーンなどは、彼らの言動不一致ぶりに笑ってしまいそうになります。

教科書にまで載ってしまったことを思うと心の底から笑えない「江戸しぐさ」


原田さんは、終盤、カルト信者の脱会運動に取り組んできた弁護士の言葉として、「カルトがもっとも嫌がるの『笑われる対象になること』」というものを紹介しています。

そして、トンデモの一種である「江戸しぐさ」は歴史としてではなく、エンターテイメントの一つとして消費されるようになれば、「江戸しぐさは終焉した」ということになるのではないか、と述べています。

原田さんが指摘しているように、今後「江戸しぐさ」は大いに笑いの種となっていくことでしょう。ただ、それでも「江戸しぐさ」がもたらした一連の騒動に対しては、うすら寒いものを感じずに入られません。
さて、道徳や算数については、教科書や教材に歴史的事実と異なることが書かれていたとしても、歴史教材ではないからと言い訳ができる(本当は通すべきではないが)。だが、社会化教材の老舗の帝国書院が、よりによって歴史資料集で「江戸しぐさ」を採用してしまったというのは、もはや目を覆うしかない惨状である。

P33

それにより私たちは、たった一人の人物の空想がマスコミを味方につけて次第に社会的影響力を強め、ついには文部官僚を介して公教育まで侵食するに至った実例を目の当たりにすることになった。

P.159


権威の象徴である教科書に載っていることすらマユツバかもしれないとしたら、「一体何を信じればいいのか」という気持ちになります。

最近は、「メディアリテラシー」などという言葉を聞く機会が増えていますが、自分自身の「リテラシー」を鑑みる意味でも有用な一冊なのではないでしょうか。実際僕自身はかつて誤った経験がありますから。。。

江戸しぐさの終焉 (星海社新書)
原田 実
講談社
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