「御茶ノ水の駅の近くのビルの2階にある店なんだけどさ。結構オシャレでいい感じだったよ」。

グループの中で唯一、年上の彼女がいるAくんは、照れながらも、少し得意そうに教えてくれた。

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今では、ぐるなびや食べログといったサービス、あるいは個人ブログが、様々な飲食店を紹介してくれる。接待や合コンといった用途ごとの提案もしてくれるので、店選びや開拓にそれほど苦労することはなくなったのではないだろうか。

ただ、僕が二十歳を過ぎたばかりの頃は、ネットもそれほど普及しておらず、店の開拓には苦労した。当時の僕にとっては、飲み屋といえば、たくさんのありがとうを集める店かアフロに髭につなぎの男性がトレードマークの店、つまりはワタミや白木屋といったチェーンしか選択肢はなかった。

それ以外の店を開拓する金銭的な余裕のない大学生の僕にとって、年上の彼女をもつAくんの口コミは貴重な情報源だったのだと思う。なんせ今でも「あぁ確かに、そんな話したなぁ」と思い出せるぐらいだ。15年近く前の出来事なのに。

結局、御茶ノ水にあるという、その"オシャレな店"を使う機会がないまま、数年が経過し、僕は社会人になった。

ある日、御茶ノ水周辺にオフィスのあるクライアントへの訪問を終え、駅に向かっているときに、ふとA君の話を思い出した。どうせたいした距離ではないだろう。そう考えた僕は、そのお店の場所まで行ってみることにした。

◆◆◆

2~3分歩いて数年前に、A君から教えられたであろう場所で、僕を待っていたのは、期待していたような"オシャレ"な店ではなかった。そこには「東方見聞録」と書かれた看板が立っていた。A君が"オシャレ"だと思った店がつぶれて東方見聞録ができたわけではない。そこはずっと、東方見聞録だったのだ。

「確かにワタミや居酒屋に比べればオシャレかもしれない」と苦笑した。しかし、一方で自分がドヤ顔で「御茶ノ水にオシャレな店があるんだよ」と言いながら、女の子を東方見聞録にエスコートする未来があったのかもしれないことを思い、背筋に冷たいものが流れた。

それ以来、僕は御茶ノ水駅周辺を通るたびに、とても苦々しい気持ちになる。それはたぶん、というか間違いなく、得意そうに語るA君の顔と、それを「メモれー!コピれー!」と言わんばかりに熱心に聞き入る当時の自分を思い出してしまうからだろう。

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