僕が今の会社に転職したばかりだった2011年8月。早めに帰宅し、たまたまチャンネルを合わせたテレビの中で目にしたのが、6年ぶりの完封勝利を遂げた西口文也投手でした。

かつての友の会員も、いつの間にかサッカー派に…


西武線沿線で生まれ育ち、日々電車の中刷りでライオンズの選手たちの活躍を目にして来た僕は当然のように西武ファンになりました。ファンクラブのキッズ版「ライオンズ友の会」への入会は当たり前。マスコットキャラクターであるレオを中央にあしらった野球帽に清原や工藤のピンバッジをジャラジャラとつけて球場に足を運んでいました。

当時のライオンズは黄金期。1990年の日本シリーズにおいて巨人を4連勝で退け日本一を決めた試合を、学校をズル休みして見に行ったのが、僕のファンとしての絶頂期だったでしょう。

しかし、その数年後にはJリーグが開幕。昔からやっていた兄に若干白い目を向けられながらも、人気の高まりに相乗りして、僕もサッカーを始めました。以来、高校卒業までサッカー部で過ごし、大学、社会人ではフットサルに熱を上げる日々。西武ライオンズの優先順位は、僕の中でかなり低くなっていました。

もちろん、まったく気にかけていなかった訳ではありません。松坂、カブレラ、松井稼頭央…。スポーツニュースで話題になる選手たちの動向はなんとなく頭に入っていました。ただ、イマイチ熱くなりきれない。最早、伝説として語られている2008年の日本シリーズ第7戦、同点につながった片岡の神懸かり的な走塁も確かに記憶には残っています。ただ、それらはあくまで「ニュースの一つ」の範疇に留まり、心の奥底を揺さぶるようなものにはなりませんでした。

西口さんのことも、「西武のエース」としては認知していても、2000年代後半からは峠を越え徐々に衰えつつある投手という印象でした。なんとなくチェックしているスポーツニュースでも予告先発の名に西口の名前を見つけると、「あぁ明日は厳しい試合になるな」と思う程でした。

帰って来たエース。そして劇的なCS進出


そんな中、僕の目に久しぶり飛び込んで来たのが、冒頭の完封劇。このシーズンのライオンズは、後半戦に怒濤の追い上げを見せ、最終戦でCS進出を決めました。しかも最終戦は当時ストッパーを務めていた牧田が9回無死満塁から西口さんの勝ち星を死守するというハラハラドキドキの展開。

帰って来たエースがチームを引っ張り、劇的な展開でCS進出を決めたチームはCSでも健闘しました。西口さんは第一ステージの日本ハム戦でも好投。無死一、三塁とピンチを作るも後を受けた石井一久が見事な投球でピンチを防ぎました。試合後、ポストシーズン初勝利を挙げた西口さんが、嬉しそうに石井の肩を揉む映像はいまでも僕の目に焼き付いています。

ソフトバンク相手のファイナルステージでは敗れたものの、この年不調だった涌井が最後の最後に好投を見せるなど、とにかく見所満載でした。この2011年を境に僕のライオンズ熱は再び高まって行きました。

そして、ライオンズの試合結果や選手たちの一挙手一投足が、僕の中で「ニュースの一環」から“愛するチームの情報”に変化して行ったのです。

まさか、あれが最後になるなんて…


その後、西口さんの登板日には極力スタジアムに足を運ぶようにしていました。

僕はその日、同僚と西武ドームに行ってビールを飲みながら西口の投球を見ていた。 : Blog @narumi僕はその日、同僚と西武ドームに行ってビールを飲みながら西口の投球を見ていた。 : Blog @narumi

僕はその日、無理めな彼女に告白するような気持ちで東京ドームに向かった : ブログ仮免許僕はその日、無理めな彼女に告白するような気持ちで東京ドームに向かった : ブログ仮免許

残念ながら、勝ち投手になるところを目撃することは出来ませんでしたが、それでも充分に楽しむことが出来ました。チケットを取ってから当日が来るまでのドキドキ感。打者1人を打ち取るたびに起こる拍手。気だるげにベンチへと引き上げる立ち姿。全てが忘れられない思い出です。



西口さんには、本当にお疲れさまでしたといいたいです。200勝してほしかったですが、晴れやかに「悔いはありません」と語る姿を見ると、何も言えなくなります。最後に1軍で投げる可能性にかけて、28日は西武プリンスドームに足を運びます。

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