真の経営者とはなにか。真の小説家とはなにか。そしてほんとうの友情とはなにか――

300万人の命が失われ、焦土と化した日本が奇跡の復興へとむかう、高度成長期、やんちゃな経営者と作家が友情で結ばれ、たぐいまれなタッグを組んで、次々とヒットを飛ばす。サントリーがまだ寿屋と呼ばれていた時代、貧困のどん底から開高健を拾い上げ、活躍の場を与えたのが、世界一のウイスキーをつくった男・佐治敬三であった。

開高はコピーライターとしての才能を花開かせ、在職中に芥川賞を受賞する。開高は佐治を必要としたが、佐治もまた開高を必要とした。やがて二人は経営者と社員という枠を越えた友情で結ばれていく。

<講談社BOOK倶楽部


恥ずかしながら、開高健については「芥川賞作家」、サントリーについては「一流企業」ぐらいのイメージしか持っていませんでした。ところが、というかだからこそ、非常に新鮮な気持ちで楽しむことができました。読んだ後に思わず、子供に向かって「やってみなはれ」と言いたくなってしまったほどです。

「洋酒天国」という元祖オウンドメディア


松下幸之助などに代表される佐治敬三の豪華すぎる交友関係と、それにまつわるエピソード、ビール事業参入をめぐる苦闘などなど、この本は読みどころに溢れています。そんな中でも、僕にとって最も印象的だったのは、開高健が作った寿屋(サントリーの前身)の広報誌・「洋酒天国」の話でした。

コマーシャル色は徹底的に排除し、香水、西洋骨董、随筆、オツマミ、その他、寿屋製品をのぞく森羅万象にわたって取材し、下部構造から上部構造いっさいにわたらざるはなく、面白くてタメになり、博識とプレイを兼ね、大手出版社発行の雑誌の盲点と裏をつくことに全力をあげた
「サントリー七十年史」
「コマーシャル色を排除し…」のあたりは、現在のオウンドメディアと呼ばれるものの隆盛と重なる部分があり、開高の先見性に驚かされます。しかし、当時の開高健らが持っていた程のフロンティアスピリッツを現在のメディア運営者は持ち得ているでしょうか。「洋酒天国」は昭和31年に「『ニューヨーカー』のユーモア、『エスクワイア』の気品、それに『プレイボーイ』のエロチシズムまで盛り込もう」という目標を掲げていたというのです。

この「洋酒天国」の第一号の発刊は昭和31年4月。今から50年近く前です。3万部があっという間になくなったというのですから、当時の注目度は大変なものだったのでしょう。

「鮮烈な一言半句」はあるか


また、当然ながら物書きとしての開高健の魅力にも引き込まれます。開高が芥川賞の選考委員に務めた際に、基準として掲げたのは「その作品に"鮮烈な一言半句"はあるか?」ということでした。
それはうまい言い回しのことではない。作者がその作品の中に、みずからの思いのたけを呪いのようにして塗り込めているか否かを問うたのだ。

日々、文章を扱う仕事をしているものとして、これほど刺さる言葉はないでしょう。自分が日々取り扱っている文章の中に、"鮮烈な一言半句"はあるのだろうか。自分自身が生み出せなくても、筆者の描いた文章の中から、"鮮烈な一言半句"を編集者として見出せているだろうか。そんな自問自答をせずにいられなくなる内容でした。

「最強のふたり」は、文章やメディア運営に興味がある人間ならば、一読に値する内容になっています。もちろん、佐治敬三という優れた経営者、開高健という偉大な作家の人生に迫るにも充分な内容ですし、酒好きならばウィスキーで天下を取ったサントリーの歴史を十二分に楽しむことが出来るでしょう。そういう意味では、非常に間口の広い作品になっていると思います。

ちなみに、7月末に作者の北さんにインタビューさせていただいた記事が公開されています。こちらもあわせて読んでいただけると嬉しいです。

「一人では強くなれなくても、二人でなら"最強"になれる」~『佐治敬三と開高健 最強のふたり』著者・北康利氏インタビュー~ (1/2) 「一人では強くなれなくても、二人でなら"最強"になれる」~『佐治敬三と開高健 最強のふたり』著者・北康利氏インタビュー~ (1/2)


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