「人間というのは、かくも複雑で恐ろしいものなのか…」

これが、このノンフィクション作品の読後に感じた嘘偽りのない感情でした。事件を取り巻く状況や関係する人物たちの行動は一読して理解するには複雑過ぎる上に僕の想像を絶するものでした。

この本が扱っているのは、あの「ルーシー・ブラックマン事件」です。

一つの事件の背景に大量に存在する知られざる事実


30歳以上の方なら、「ルーシー・ブラックマン事件」を記憶している人も多いと思います。これは、六本木でホステスとして働いていた英国人ルーシー・プラックマンさんが失踪、後に遺体で発見された事件で国内外から大きな注目を集めました。

著者である英国人ジャーナリスト、リチャード・ロイド・パリー氏が、この事件の関係者や裁判の様子を克明に取材し、400ページにわたるノンフィクションにまとめたのがこの本です。この作品は被害者であるルーシーさんが誕生する以前にさかのぼって、時間の経過を丹念に追って行くのですから、その取材の徹底ぶりがわかると思います。

僕らは、日々流れるニュースをドンドン消化して行くので、過去の事件の背景や裁判の結果にまで思いを致すことはありません。ただ、当然すべての事件には複雑な背景があり、裁判にも紆余曲折があるのです。この本はそんな当たり前のことを教えてくれます。

六本木

被害者遺族が受け取った1億円のお見舞金の行方


僕が何より驚かされたのは、被害者の父親であるティム・ブラックマンが容疑者から“お見舞金”として1億円を受け取っていたという事実です。この事実は、当時のイギリスでかなり批判的に報道されたようです。僕にも正直、ティム・ブラックマンの行動が理解できませんでした。

ただ、一概に批判できない部分もあるのです。事件後、海外で行方不明になった子どもを持つ親を支援するルーシー・ブラックマン基金という団体が作られているのですが、その活動資金としてお見舞金が使用されているのです(一方でティムが同じタイミングで新しいクルーザーを購入したというような記述もでてくるのですが)。

被害者の遺族が容疑者から多額の“お見舞金”を受け取る。そして、そのお金の一部は“正しく”“役に立つ”ことに利用される。こうした事実をどのような感情を持って受け止めればいいのか。僕には正直、わかりませんでした。

長年にわたる裁判の結果はどうなったのか…


この事件の裁判は10年掛かっています。この裁判の結果を知っている人は、それほど多くないのではないでしょうか。この本で描かれている裁判の様子と、その結果は月並みですが“衝撃”としか表現できないものでした。

下手な怪奇小説よりも遥かに恐ろしいノンフィクション。そんな表現がピッタリの一冊なので、これからの季節にピッタリだと思います。本当に人間は恐ろしい…。

蛇足ですが、僕は途中までずっとリンゼイ・アン・ホーカーさんが被害者になった事件と記憶が混同しており、犯人は市橋達也だと思っていました。いつまでたっても市橋が出てこないので「おかしいな、おかしいな」と思いながら、読みましたけど、それでも面白いですよ(余計なフォロー)。

黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実
リチャード ロイド パリー Richard Lloyd Parry
早川書房

著者であるロイドパリーさんへのインタビューも掲載されているので、こちらも是非読んでみてください。

「一人の人間、事件に簡単にレッテルをはることはできない」~『黒い迷宮──ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者・リチャード・ロイド・パリー氏インタビュー~ (1/2)「一人の人間、事件に簡単にレッテルをはることはできない」~『黒い迷宮──ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者・リチャード・ロイド・パリー氏インタビュー~ (1/2)