「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である
本書は、「江戸しぐさ」を徹底的に検証したものだ。「江戸しぐさ」は、そのネーミングとは裏腹に、一九八〇年代に芝三光という反骨の知識人によって生み出されたものである。そのため、そこで述べられるマナーは、実際の江戸時代の風俗からかけ離れたものとなっている。
(中略)
「江戸しぐさ」は偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出されたものである。我々は、偽りを子供たちに教えないためにも、「江戸しぐさ」の正体を見極めねばならないのだ。

内容紹介 - ジセダイ


まず最初に黒歴史を白状させてもらいます。
自分はかつて、何の疑いもなしに、とある媒体で「江戸しぐさ」の特集を作ったことがあります。しかも、俺は大学で歴史学科に所属していたのでした…(かつ日本史専攻だったという救いのなさ)。

というわけで、この本を「し、しにたい…」と思いながら読みました。この前、以下のようなエントリを書いたのも、次に書くのが、この話だったからという部分がありました。。

ブログ仮免許 : 自分の知性とか理性とかってそれほど信頼できるものなんだろうか~「『ニセ医学』に騙されないために」~ブログ仮免許 : 自分の知性とか理性とかってそれほど信頼できるものなんだろうか~「『ニセ医学』に騙されないために」~

それはさておき、「江戸しぐさ」。本書では、具体的な「江戸しぐさ」を一つ一つ挙げながら、それが如何に歴史的に「ありえないものか」を証明していきます。一つ具体例を挙げると以下のような感じ。

「江戸しぐさ本:江戸っ子はバナナが好物だった」→「筆者:当時のバナナは観賞用で食用が流通するのは日清戦争以降だから」

一度、何の疑いもなく受け入れておいて、どの口がいうかとお思いかもしれませんが、「江戸しぐさ」は伝来の経緯も荒唐無稽といっていいものです。 (以下の引用も「江戸しぐさの正体」からの孫引きなんで、歴史学的にはNG行為です。すいません)

江戸っ子を一部の官軍は目の色を変えて追い回した。“江戸っ子狩り”は嵐のように吹き荒れた。摘発の目安は“江戸しぐさ”。ことに女、子どもが狙われた。私たちの目に触れないが、ベトナムのソンミ村、アメリカネイティブのウーンデッドニーの殺戮にも匹敵するほどの血が流れたという話もあながち嘘ではないかもしれない。それらは、史実の記録はおろか、小説にも書かれていないが。

「商人道『江戸しぐさ』の知恵袋」157~158ページ


今思えば、こんな話をあっさりと受け入れていた自分は、何を考えていたんだろうとすら思います。史料が存在しないものをどうやって歴史と認定したのでしょうか…。 自身が誤るだけでなく、拡散に加担したことを深く、反省したいと思います。

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本書では「江戸しぐさ」なる偽者の歴史が、どのような人物によって作り出されたのか、という点に迫っており、単なる「江戸しぐさ批判本」に留まらない重厚な内容となっています。そして、それが現在、道徳の教科書にまで掲載され、教育行政に入り込んでいることに警鐘をならします。

「結果的によいマナーが広がるのならばいいじゃないか」と主張する人もいるようです。しかし、偽者の歴史を基に説かれる道徳というものに、どれほどの説得力があるのでしょうか。また、筆者は、一度「江戸しぐさ」を信じてしまった人が守りたいのは、真実よりも、自分の思い込みではないか、指摘します。そして、それはまったくその通りだと思います。

己の過去を否定するのは苦しいことです。実際に経験をした俺が言うのだから間違いありません。しかし、「過ちては改むるに憚ること勿れ」という言葉があるように、間違ったらおとなしく認めて、やりなおせばいいじゃないか、ということで、ここに記しておく次第です。そして、“いい話”を疑うというのは、想像以上に難しいことだと痛感しました。

こうした葛藤を抱え、同僚から「とんだコウモリ野郎ですね!www」と罵られながら、以下のような記事を作ったので、ぜひお読みください。

“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー (1/2)“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー (1/2)