スピリッツの書評コーナーで紹介されていたので読みました。



たった1人で出版社「 夏葉社」を立ち上げた島田潤一郎さんの半自伝的な内容です。夏葉社については、以前、シノドスに掲載された記事で読んだ、以下のエピソードでなんとなく知っていました。

ある読書家で知られる芸人が、2011年の初夏のある日に、下北沢の古本屋で棚を見ている。彼はそこに、古本ではなく新刊書があることに気づく。『星を撒いた街』と題されたその本は、彼がここしばらく気になっていた版元の新刊だった。手に取り、レジに持っていく。カウンター越しに店主が話しかけてくる。
「又吉さんですよね?」
「あ、そうです」
「夏葉社の者から、この本は又吉さんが来たらお代はいらないって言われているんで」
彼は驚く。その古本屋に足しげく通っていたわけではないし、そこを馴染みにしているなどと誰かに言ったこともなかったからだ。

こんな映画のワンシーンのようなエピソードがフィクションではなく、事実なのだから驚きです。そして、こういう奇跡を演出する夏葉社の書籍を作っているのが島田潤一郎さん。彼がたった1人で出版社をつくろうと考えたきっかけも、またドラマのようなものなのです。

仲の良かった従兄弟の死に際して、辛い思いに打ちひしがれる島田さん。自分と同じように辛い思いに沈む叔父と叔母に、彼は一遍の詩を送りたいと考えるのです。

ぼくは、あの一遍の詩を、本にして、それを叔父と叔母にプレゼントしようと思った。そのことを手がかりに、未来を切り開いていきたいと思った。
「あしたから出版社」43ページ

ここ数年、「出版業界が厳しい」という内容の話題には事欠きません。そんな中で、社員たった1人とはいえ、こんなナイーブな理由で立ち上げられた出版社が今も事業を続けている。本当に驚かされます。

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コンテンツ制作に限らない話ですが、仕事してると「お前の思い入れとか客は知ったこっちゃねーから」的なことを言われる機会って結構あると思います。自分はWebサイトの記事を書いたり、編集したりしていますが、評価の指標はPVが大きなウェイトを占めます。長期的に見れば、「サイトとしてのブランドガー」みたいな議論もあるのでしょうが、PVが一つの大きな指標であることは間違いありません。

「俺はなんとしても、これを伝えたい」と深い思い入れを持って作った記事よりも、猫画像や肉画像を集めた記事の方がPVを集めるという残酷な事実があります(それはそれで健全だと思うけど)。この手の葛藤を抱える人たちは、少なくないと思うのですが、「あしたから出版社」は、そういう編集者たちに勇気を与えてくれます。

叔父と叔母に捧げる詩集を契機に、島田さんは様々な本を制作することになります。どれも世の中の売れ筋とは遠いけれども、強い強い思い入れがある作品を。

いろんな制約があるけれども、ビジネス的な価値観と無縁で入られないけれど、「知ったこっちゃねぇ」と思う人が大半かもしれないけれど…“思い入れ”を込めた仕事をしよう。そんな風に考えさせられる一冊でした。

あと、島田さんがデートに誘った女の人に「日本で50番目くらいの男になりたいんだ」と話すシーンが凄くいいです。

「なんで50番目なの?」とAさんは言った。
「だって、一番は中田英寿でしょ?」ぼくはすこし間をおいてから、真剣にいった。ちょうどそのころ、中田はセリエアで大活躍をしていた。
「二番は?」
「…イチローかな」
「あしたから出版社」211ページ

うまく説明できないですけど、こういうシーン、すごく“いい”です。